ツーリングの記録


BD-1を買って、最初はただ嬉しくて走っていましたが、 そのうちツーリングの、特に峠越えツーリングの楽しさに 目覚めつつあります。 最近はロードレーサーが欲しくて仕方がない。

よく走る道

田無(自宅)〜早稲田(職場)

自宅〜職場間はツーリングとは言わないか。 大体週に1回位は自転車で通勤するようにしているが、 忙しくなると電車の中での作業時間を確保するため 電車通勤を余儀なくされてしまう。

青梅街道、早稲田通り、小滝橋交差点から丘を越えて戸山公園に抜けるルートか、 新青梅街道、新目白通り、高田馬場駅前を経由するルートを使う。

初めて走ったときは約1時間10分程かかったが、現在の 最高記録は、2000.4.8の

である。これは試しに7速を温存して6速以下で走ったときの記録で、 自分の走力では一番重いギアは不要であることがよく分かった。

多摩湖自転車道

多摩湖自転車道は、田無のすぐ近く(武蔵境通りと五日市街道の交差点のちょっと 西)から多摩湖まで約11kmと、多摩湖を一周する約12kmの自転車道。 多摩湖まで延びる道は車止めが多くて走りづらいが、多摩湖一周は 走りやすい。田無から行くときは青梅街道の一本南の道を走り、 花小金井駅近くで自転車道に合流する。過去何度も走りに行っている。

また、青梅や飯能方面にへ行くのに大通りを避けて多摩湖自転車道を使うことも 多い。

また、多摩湖は狭山湖と合わせて一周することも出来る。 こちらは約20kmで、狭山湖外周部はほとんど未舗装のダートを走る。

多摩湖一周の走行データ。

多摩湖・狭山湖一周の走行データ。

田無(自宅)〜馬込(実家)

ルートは、 のいずれか。最も速かったのは前者での

主なツーリング

多摩湖自転車道 + 小平グリーンロード

1999.7.24。BD-1を買って初めてのロング? ツーリング。 とりあえず近くの自転車道を走っておこうと思って、 多摩湖自転車道で多摩湖へ行き、多摩湖を一周した。 また、帰りは多摩湖自転車道から府中街道を野火止用水を見ながら南下し、 玉川上水で小金井公園まで(小平グリーンロードと呼ばれるコース)も 走った。

距離は50km程度。

三浦半島

1999年8月1日、藤沢在住の友人と計画して、初のロングツーリングに挑んだ。 こちらはBD-1で輪行が簡単なので、藤沢発で適当なコースとして、 三浦半島一周を考えた。

当日は8時出発。何となく自信が無かったので、一周はせず三浦半島の 南端まで行ってそのまま帰って来るコースにした。 江ノ島まで南下し、R134で逗子市を経由し、城ケ島へ。 予想外にアップダウンが多く、結構疲れた。 途中で何度も休憩を取り、城ケ島公園で結構長く休憩したため、 藤沢に帰ったのは6:30頃。

距離は往復でおよそ80km。

多摩川

1999年10月23日(土)、多摩川の下流側は実家に帰るときに使ったが、 上流側はまだなので、自転車道が続く限り多摩川を遡った。 田無から武蔵境通りを南下し、多摩川にぶつかったら上流へ向かう。 結局、羽村の玉川上水の取水口のところで自転車道が終わっていた。 帰りは、奥多摩街道を北上して東青梅の駅近くで青梅街道に入り、 そのまま青梅街道で田無に向かった。久し振りのロングツーリングだった。

町田

1999年10月24日(日)、田無から町田まで往復して見た。武蔵境通りを 南下してそのまま鶴川街道を行ったのだが、途中予想外に自然の中を 走るようなルートになり、ちょっとした峠越えもあって 意外に楽しめた。

箱根

1999/11/14(日)、 友人二人と輪行で箱根へ。最初は登山鉄道で上まで自転車を持っていって 芦ノ湖近辺を適当に走る計画だったが、ちょうど紅葉見物の 観光客が多い時期で、登山鉄道は自転車を載せられる雰囲気では無かった。 そこで、初の本格的な峠にアタックすることになってしまった。

結果は見事敗退。旧国道1号を登ったのだが、箱根湯本を 過ぎてしばらくしたら余りの激坂に体力を使い果たし ギブアップ。そこからは傾斜がきつい場所は押し、やや緩いところは 乗車、を繰り返して、3時間近くかけてやっと芦ノ湖へ登り切った。 もう時間が無くなってしまったので、食事を済ませた後は すぐに小田原に向かって帰り始めた。帰りは国道1号で、最初の内は 高速ダウンヒルを楽しめたが、すぐに渋滞になってしまった。

登りは約17km、下りは約22km。田無〜向ヶ丘遊園(16.5km, 6:55〜7:45) 向ヶ丘遊園〜田無(19:10〜20:10)も走行。

鎌北湖

1999年11月21日、先週は強烈な上り坂に敗退したが、少しずつ 坂に慣れようと思い、あわよくば奥武蔵グリーンラインを走ろうと思いつつ、 とりあえず奥武蔵方面に向かう。

田無を10:10に出発、自走で飯能へ。所沢街道を使ってまず所沢へ向かったが、 この道は道幅が狭いのに交通量が多く、非常に走りづらかった。 R463はまずます。

飯能から北へ向かい、鎌北湖を目指す。初めて走る田舎道に、 「自宅からちょっと走るだけでこんな風景の中を走れるんだなあ」 と感動する。鎌北湖への登りはちょっときついが距離は短い。 残念ながら鎌北湖は工事中であった。

鎌北湖から更に道を先へ進み、奥武蔵グリーンラインの スタート地点の北向地蔵を目指す。 いきなり急坂が出現し、箱根の二の舞かと思ったが、 こちらは車がほとんど通らないので道幅をいっぱいに使って 蛇行して何とか耐える。休みながらおよそ30分間耐えると、 ようやくグリーンラインの稜線まで上がることが出来た。 「○○峠」なんていう名前はないが、「峠を越える」という 言葉の本当の意味が実感できた。

この時点ですでに14:00を過ぎており、このままグリーンラインを 走るのは無理と判断、そのまま武蔵横手へ下りることにする。 途中ハイキングの一団を追い越し、「こんなところへ自転車で くる人がいるんだ」というような奇異な目で見られた(ような気がした)。

武蔵横手から、飯能〜田無と、何とか日が暮れる前に帰ることが出来た。

和田峠

1999年12月11日、前回の鎌北湖でちょっとだけ登りへの自信が芽生えたので、 その余勢を駆って、八王子から陣場山の山頂近くを通って藤野へ下りる 和田峠に挑戦してみた。ここはサイクリストの間で急坂で有名な ところである。

10:00に田無を出発し、まずは八王子へ向かう。武蔵境通りを南下して 甲州街道を西へ向かう。甲州街道はあまり走りよくは無かった。

八王子で食事をした後、いよいよ陣場街道で峠へ向かう。 しばらくは非常に緩い上り坂が続き、楽に高度を稼げる。 最後の陣場高原下のバス停を過ぎると、急坂が現われる。 道幅をいっぱいに使って蛇行し、途中大休止を一回挟みつつも 急坂と格闘すること50分、やっと峠に到着。達成感は 大変なものだった。

下りはあっと言う間に藤野駅に着くが、峠越えの興奮が醒めていないのか まだ元気が残っている感じで、走れるところまで自走で帰ろうと決意する。 甲州街道を相模湖駅まで相模湖を横目に見ながら走る。 ここで、大垂水峠を越えて行くのは無理と判断し、R412、R413で津久井湖 を見ながら橋本へ向かい、そこからR16で北上して八王子へというように迂回する ことにする。湖沿いは意外にアップダウンがあってきつかった。 八王子に着いたらさすがに体力は限界に近かったが、ここまできたら 全部走ろうと思って、田無まで走った。

初の本格的な峠越え、総距離109.72kmで初の100km Overと極めて 充実した一日だった。

田無〜八王子(10:00--11:30) 25.15km 平均時速16.8km
八王子〜藤野(12:20--14:58) 27.83km 平均時速10.6km
藤野〜相模湖(14:58--15:24) 4.53km 平均時速10.5km
相模湖〜橋本(15:24--16:34) 17.77km 平均時速15.23km
橋本〜八王子(16:34--17:08) 8.21km 平均時速14.49km
八王子〜田無(17:08--19:05) 26.23km 平均時速13.45km
合計 109.72km 平均時速13.3km

奥武蔵グリーンライン

前回(1999年11月21日)はグリーンラインの稜線に上がっただけで 時間が無くなってすぐに下りてきてしまったので、 今回(1999/12/27)は飯能まで輪行で時間を温存し、グリーンラインの 走破を目指す。

この後はまだ書いてない。

境川自転車道 (藤沢往復)

まだ書いてない。

旧満地トンネル〜二ツ塚峠〜旧二ツ塚峠〜馬引沢峠〜梅野木峠

まだ書いてない。

名栗湖〜天目指峠〜子の権現

まだ書いてない。

奥多摩周遊道路

2000年3月26日、自宅から全自走で奥多摩周遊道路を走破し、 最高地点と最長距離の更新を狙う。 ハードな難コースとして知られるこのコースだが、いざとなれば 引き返せば良いと思って、とりあえず出発。

7:06に田無を出発し、五日市街道で武蔵五日市へ向かう。 拝島までの道は普段は結構走りづらいが、早朝のためか 車は比較的少なく快適。

武蔵五日市の駅前のコンビニで食料(おにぎり)を調達し、 9:04に風張峠に向けて出発。桧原街道をひたすら走る。 すぐに杉の木立の中の走る雰囲気のいい道になる。 上川乗の交差点を過ぎると、いよいよ坂がきつくなってくる。 交通量が多いので道幅をいっぱいに使ってジグザグに登ることは 出来ず、まっすぐでは登り切れない勾配が出てきたら押しも 覚悟していたのだが、意外にもそのような坂は出て来なかった。 10%の勾配が続くが、それ以上になる箇所はほとんどなかったように 思った。途中途中数馬付近のドライブインと都民の森駐車場で 2度の休憩をとったが、なんとか登り切ることが出来た。 風張峠には「東京で一番高い道路 奥多摩周遊道路 標高1146m」 の表示があった。

そこからは奥多摩湖への一気ダウンヒル。結構カーブがきつく、 また交通量もそこそこあるので割と恐かった。 無理にアタックして見たが、下り部分の平均時速は約40km/h、 最高時速は51.6km/hだった。

奥多摩湖からは、登り切った満足感からか体調は良く、 いいペースで家まで走ることが出来た。(途中、奥多摩駅と青梅駅で休憩。) ただ、奥多摩駅までは結構トンネルが多く、恐かった。

ここまでの走行距離は、144.03kmだったので、 「後16kmでセンチュリーランだなあ」と思って近所を 回って、この日の合計距離は結局164.28kmだった。

ヤビツ峠

まだ書いてない。

多摩湖へ花見

2000年4月09日、ちょうど桜が満開の時期を狙って、多摩湖自転車道へ。 写真を撮りながらゆっくり走った。

日本橋〜小田原 (東海道分割走破計画1)

まだ書いてない。

小田原〜新富士 (東海道分割走破計画2)

まだ書いてない。箱根リベンジ。

軽井沢

2000年5月13日。新入生のオリエンテーションが軽井沢の 追分セミナーハウスである日。 毎年研究室の夏のゼミ合宿をここで行なっていて、今年は自転車で 行こうと考えていたが、考えて見ると真夏に長距離を走るには 苦痛であり、涼しい今の時期しかチャンスはないと思って 自転車で行くことにした。 16:30には到着する必要があり、朝の5:00に出発しようと考えていたが、 前日の帰宅が遅かったこともあって出発は7:05になってしまった。

道順は、R36(保谷志木線)でR254に入り、R254で 藤岡まで。そこから北上して高崎へ。高崎からR17、R18で追分まで。

約100km走り、高崎に着いたのが12:27。距離的には残り約50km程度 と思われたが、後半には碓氷峠の1000mの登りが待っているので 時間までに到着するかどうか不安になる。 ここから少し焦ってペースを上げる。おぎのや到着が14:10。 既に結構疲れていて、これから碓氷峠を登るのがちょっと嫌になったが、 ここからでは輪行も出来ず、もう登るしかない。 14:22に登り始めて、15:53に峠へ。思ったよりずっと勾配は緩かったが、 距離が長くて疲れた。追分セミナーハウスにはちょうど16:30に到着した。

翌日の帰りは走る気は無かったが、せっかく登ってきたので下りだけでも 楽しもうと思い、高崎まで走って残りを輪行とした。

鋸山林道

2000年5月28日、天気予報は雨だったが見事にはずれて晴。 短時間で満足できるルートとして、 武蔵五日市駅から桧原街道を西へ、神戸(かのと)岩を経て鋸山近くの 大ダワ(標高1009m)を通り奥多摩駅に抜ける鋸山林道を走った。 武蔵五日市までは輪行、奥多摩駅からは青梅街道、新青梅街道で 自走。

奥多摩周遊道路を走れたことだし、体調も悪くない、距離は短いし標高も 風張峠より低いということで、大丈夫だろうと思っていたが甘かった。 距離が短い分、10%を越える急坂が頻繁に現われ、ハードな峠越えであった。 景色は非常に良く、一般車は進入禁止なのでとても気分は良かった。 車がほとんど来ないので道幅をいっぱいに使って蛇行することが 出来たため、なんとか押しは入らずに完走できた。 いざ峠を下って見るとなんとなく走り足りなく、 奥多摩駅から残りの約50kmは自走した。

大弛峠

2000年7月9日(日)。梅雨でしばらくの間ずっと週末は雨で、走れない ストレスが溜まっていたが、この日は前日に台風が去った後で ほぼ快晴になることが予想できた。 そこで、5:24立川発の中央線各停で塩山へ向かい、そこで「自転車 + 山」 をやろうと出発。選択肢としては、 があったが、せっかく早起きしたので3番目の大弛峠を目指すことにする。

4:00に起床し、4:20に出発、自転車で立川へ向かう。 これだけ早朝だと車もほとんど無く、狭い五日市街道も 快適に走行できた。

塩山の駅の北口に出て、そのまま西へ。R38、R210、杣口(そまぐち)林道、 川上牧丘林道というルートを取る。林道に入る前のR210の部分が直登で かなりきつく、暑さもあってかなり体力を消耗してしまう。 今回はさすがに無謀だったか、どこかで諦めて引き返すことも考えねば、 という考えが頭をよぎる。シャツ一枚になり、着ていた上着を首にかけて走る。

丁度中間点あたりで急に視界が開ける。金峰牧場だ。 ここまでで持ってきた食料と水を半分以上消費し、どうしようかと 思っていたが、ここに一軒民宿があって事無きを得る。

この辺から暑さはあまり気にならなくなってくる。 きついところは歯を食いしばり、緩いところで体力を回復しつつ 登って行くと、やがて未舗装路が現われる。塩山から約29kmの地点だ。 とりあえず走ってみるがBD-1では小石を乗り越えるときの抵抗が あまりに大きく、すぐに乗車は諦めて押して上がることにする。 未舗装区間は約3km、45分間の押しだった。

再び舗装路になってほっとするが、最後の勾配はかなりきつく、体力も限界に近い。 最後の6kmほどを1時間近くかけて、ようやく峠に到着した。 峠には標高2360mの表示があった。標高約400mの塩山から、 標高差2000m近くを登ってきたことになる。

この時点でもう13:40。金峰山までは往復5時間は見ないと いけないので、もう無理と判断し、より近い国師ガ岳と北奥千丈岳に 行くことにする。これらの山へは標高差も距離も大したことはなく、 ちょうどいい休憩になった。

15:56、下り始める。3kmのダート部分は下りは乗車可能で、 非常に楽しかった。長いダートの下りは結構ブレーキを握る手が 疲れることが分かった。 R210の部分はほとんどカーブの無い急坂で、これまでに無い スピードで下ることが出来、瞬間最高時速61.6km/h(メータに 残っていた最高時速は59.3km/h)に達し、これまでの記録を 大幅に更新した。

帰りは何故か吉祥寺で下りて、そこから家に向かった。 今回はさすがにハードでしばらく自転車に乗っていなかったせいも あって、久し振りに筋肉痛になった。


月間走行距離

BD-1 BD-1以外
1999.7 179km 57km
1999.8 212km -
1999.9 52km -
1999.10 244km 2km
1999.11 447km -
1999.12 394km -
2000.1 210km -
2000.2 233km -
2000.3 408km 151km
2000.4 409km 29km
2000.5 798km -
2000.6 140km -
2000.7 177km -
2000.8 32km -

ツーリングの記録 / kashi@mn.waseda.ac.jp